【ネタバレあり】芥川賞受賞『ハンチバック』のラストを考察する

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『ハンチバック』を読んだ感想

2023年7月19日に、第169回芥川賞、直木賞が発表されました。

「読書バリアフリー」について訴えたいことがある、そのために書いた。という小説を読んでみたい!ということで、市川沙央さんの『ハンチバック』を読んでみました。

読んでみた感想は、「あれ、これで終わりなんだ・・・・?」です。というのも、まだ物語の一番の盛り上がりを体験していないように感じたから。読後すぐに、ラストの部分だけ再び読み返したくらいです。

なぜ、「まだ物語の一番の盛り上がりを体験していない」と感じたのか、なぜ、このようなラストになっているのかを考察していきたいと思います。

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こちらの記事は、ネタバレがあります!まだ読んでいない方はお気をつけて!

“当事者小説”と呼ばれる『ハンチバック』

『ハンチバック』は、「ミオチュブラーミオパチー」という骨格筋に影響を及ぼす遺伝性筋疾患を抱えた女性が主人公です。

主人公の釈華は、背骨が右肺を押し潰すかたちで極度に歪曲しています。それゆえ、移動は電動車いすを利用しています。気管カニューレの装着も市川さんと同じです。

作者である市川沙央さん自身も「先天性ミオパチー」という難病を抱えており、自身が経験しているからこその身体の描写は、リアルで、読者によく伝わってくる説得力?があります。

ここで、わたしの好きな描写をば。

息苦しい世の中になった、というヤフコメ民や文化人の嘆きを目にするたび私は「本当の息苦しさも知らない癖に」と思う。こいつらは30年前のパルスオキシメーターがどんな形状だったかも知らない癖に。

市川沙央『ハンチバック』13頁

「本当の息苦しさ」の重みを感じました。少し想像すれば分かることだけれど、言われなければ知ろうともしなかった世界がたくさんありました。

小説を通して垣間見る世界のあれこれ

釈華は、重度心身障害者で一人での生活が難しいため、グループホームに入所しています。

食事やトイレは一人でできますが、入浴は職員さんの手を借りないとできません。部屋は十畳ほどのワンルームで、キッチン、バス、トイレがあるだけ(たぶん、これでもホームとしては良い方の部類ではと思う)。

このような生活の中で、釈華はいわゆる「コタツ記事」を書いてお金をもらっています。男性向け風俗店の体験談やナンパスポットをまとめたものなどを、取材はせずに、ネット上の情報をつぎはぎして記事にしています。1記事3000円程度という仕事を、iPhoneやiPad miniで書いています。

自分の世界のすべてが十畳のワンルームでも、お金を稼げる現実があることが淡々と描かれています。

生活全体もあまり知らない世界ではありましたが、最も「はっ!」とさせられたのは、作者である市川さんが芥川賞受賞式で話していた「読書バリアフリー」に係る、紙の本に対する釈華の想いでした。

厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負担をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。曲がった首でかろうじて支える重い頭が頭痛を軋ませ、内臓を押し潰しながら屈折した腰が前傾姿勢のせいで地球との綱引きに負けていく。紙の本を読むたびに私の背骨は少しずつ曲がっていくような気がする。

『ハンチバック』市川沙央 26頁

釈華のように本が持てない、目が見えない、文字が正確に読めない、身体が自由に動かせない・・・・・いったい、私たちの想像力とはいかほどのものだったろうか、と思い知らされたようでした。

物語のピークを勝手に想像“させられた”?

物語を読んでいくと、釈華の願いが示されてきます。

普通の人間の女のように子どもを妊娠して中絶するのが私の夢です」と。

この夢に向かって、物語が進行していくんだろうなと、読者はなんとなく想像します。実際、相手を見つけ、行為に及ぶまでの算段をつけていく描写が続きます。

普通の(ここでは「健常者の」という意味)人間ができて釈華にはできないことが、多い。

真っすぐ立つこと。本を手に持って読むこと。声を出して話すこと。自分の足で歩くこと・・・・。「できるか、できないか」で普通悩んだりしないようなことが、釈華にはできない。しかし、「子孫を残す」ことは普通の人間と変わらず、自分にもできる、そう思った釈華は「妊娠、中絶」をして、普通の人間の女に追いつきたかったのです。

「中絶」なんて、ひどい。そう思う人は多いと思いますが、釈華は「自分の身体では『産む』ことはできない」として「中絶」を選択せざるを得なかったのではないでしょうか。

釈華の「妊娠して中絶したい」という願いは、倫理的にはアウトだが、物語としてはそういう方向へ向かっていくのだろうな・・・・と、われわれ読者は想像させられたはず。

しかし、描かれた話の中では、中絶はおろか、妊娠さえすることはないまま終わってしまうのです。

この話は、いったい何を描きたかったのだろう・・・・と読者は思うわけです。

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ラストシーンがああなっているワケを考える

『ハンチバック』の語り手は、ラストシーンで突然変わります。

それまでは「釈華」の目線で語られていたものから、「紗花(しゃか)」という源氏名の風俗嬢の語りに変化していくのです。

(※「紗花」は釈華のツイッターのアカウント名でもあるが、ラストシーンの紗花は釈華とは別人であるように思われる)

紗花の語りからすると、どうやらこの「紗花」は「釈華」のことを知っているようです。その存在を知っているだけでなく、釈華の願ったものまでも知っていて、それなりの思い入れもあるようです。

読者の目線は、「釈華が見ている世界」から「釈華のことを知っている風俗嬢紗花が見ている世界」へと移行していきます。

しかし、ここですんなり移行できる読者は多くないのでは?と思います。なぜなら、それまでの読者の目線が「釈華のことを知っている風俗嬢紗花が見ている世界」だったわけです。急に、読者の立ち位置が物語の中に組み込まれた違和感があります。

なぜ、このような構成にしたのでしょうか。

それを考えるヒントは「読者の目線」にあると思います。

  1. ミオパチーの「釈華」が向き合う世界 を見ている読者
  2. (釈華のことを知っている)風俗嬢の「紗花」が向き合う世界 を見ている読者

この物語には二つの読者が存在します。想定される多くの読者層に近いのは、正常な背骨を持ち、妊娠と出産の可能な、2の紗花。

釈華の物語を読んでいる分には、「障害を持ったばかりにかわいそう」と自分とは切り離す読者が多いが、紗花の物語を読まされ、「自分が紗花だったらどんな結末にしたのだろうか」と想像させる余地ができるところに、作者市川さんの「いやがおうにも読者をこちらに引き込む」テクが込められているのかもしれません。

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【おまけ】この物語の主人公はだれか?

文学テクスト研究者の石原千秋さんによれば、小説の主人公というのは、「変化」した人を指します。

変化をするとは、高校国語教材で定番の、芥川龍之介の『羅生門』でいうと、「下人が悪人になる物語」とか「下人が生きる勇気を得る物語」といった変化で、これらの変化は下人に起こっているので、主人公は下人ということです。

『ハンチバック』で変化した人間はだれかと考えると、実は釈華ではないことに気が付きます。

この、主人公変化説でいうと、『ハンチバック』の主人公は「田中さん」でした。

田中さんの存在は、物語の中でも非常に重要ではありますが、登場シーンはそんなに多くなく、しかも途中でいなくなってしまいます。

しかし、物語の中で変化を遂げているのは、田中さんしかいないように読めます。

田中さんは、釈華のアカウントを特定し、彼女の「妊娠して中絶したい」という願いを知ります。このアカウントについて話す田中さんは、釈華のことを蔑むような眼で見下ろし(ているように釈華には見え)、徹底して馬鹿にしたように話している(ように釈華には見えている)のです。

田中さんが釈華を蔑む理由は分かりませんが、本人は互いに社会的弱者であると思っています。グループホームから出ることのできない釈華が様々なことに挑戦している姿が、健常な身体を持ちつつも精神的に閉鎖的な自分とが対照的に感じられて、嫉妬していたのかもしれません。

田中さんは、「障害者であり、弱者である女性」の釈華の願いを叶えることで、大金をもらい、「助けてやった満足感」を得ようとしました。

しかし、土壇場になって、田中さんの精子を飲んだ釈華が肺炎で死にかけると、「死にかけてまでやることかよ」と「お大事に」という言葉を残して、さっさとグループホームを辞めてしまいます。1億5500円の小切手も、手つかずのままに。

厭世的な感情を抱き、障害者である釈華を利用して大金を得ようとまでしたが、実際に自分の願いに命を懸ける姿を目の当たりにして、「生きる・生きている」ことを見せつけられた田中さんは、「人生って不公平だがこんなもん」と知ったような気になっていた以前の自分にはもう戻れなくなったのではないか、と考察しています。

釈華を蔑んている田中さんのままであったら、釈華との約束を最後まで果たし、大金を手に入れたはずです。

田中さんは、釈華の生き様を見る前と見た後で、変化してしまったのです。『ハンチバック』の主人公は「田中さん」であると密かに思っていようと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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この記事を書いた人
ペピートスタッフ
みさきち

ペピートスタッフ、みさきち。
最近は『光る君へ』を観ることにはまっています。いつか、源氏物語の現代語訳を自分でつくってみたい!

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