北欧インテリアづくしのドラマ『パンとスープとネコ日和』の原作とは
小林聡美さん主演でドラマ化された同名小説『パンとスープとネコ日和』。
ドラマ内では北欧インテリアがそこかしこに散りばめられています。アキコが卵サンドを作るときに使っていた野田琺瑯のバターケースや喫茶店のママ愛用の真っ赤な柄が特徴的なレデッガーのこども用ほうき、両替に出かけるときに持っていくミナペルホネンのミニバッグなど、憧れの道具たちが出てきます。
ドラマの出演者は、小林聡美さんの他に、もたいまさこさん、伽奈さん、市川実日子さん、加瀬亮さん、光石研さん、塩見三省さん、岸恵子さん、美波さんなど実力派の俳優さんたちです。
キャストにインテリアに、期待が高まるこのドラマ。原作はいったいどんなものなんでしょうか。
何も事件は起きない、でもリアリティはすごい
物語は、主人公アキコの母が突然亡くなってしまい、それを機にアキコは長年勤めた出版社を辞め、母がやっていた食堂を改装し、新たに食堂を再オープンするというところから始まります。
これだけ書くと、「事件、おきてるやん」と思うかもしれないのですが、あくまで淡々と事後報告のように描かれています。主人公が母の死に喚いたり、無気力になったり、突然スピリチュアルに目覚めたりはせず、喪に服します。
母が残した貯金でおこなった改装は何事もなく終わると、アルバイトも決まり、お店のメニューもあれこれ悩みながらも決まっていきます。何もかも順調に進んでいくのが序盤の展開です。
大きな事件・やらかしは終始起きないのに、妙にリアルに刺さってくる会話や台詞があるのがこの小説の面白みの一つになっています。
母のやっていたお店の常連客が、再オープンしたお店を見て言います。
「ここ、何するとこ?」
「食堂?殺風景だなあ。何もないじゃないか」
「こんなところで落ち着いて飯が食えるか?あの、家の茶の間みたいなのがよかったのになあ」
『パンとスープとネコ日和』42~43頁
これに対して、アキコはこう思います。
味は二の次のような母の店に、あれだけ長く通ってくれたのだから、本当に店を愛してくれていたのだと思う。(でも私は、母のあの茶の間のような店を継ぎたくはなかったんですよ)
『パンとスープとネコ日和』43頁
殺風景?何もない?上等じゃないかと言わんばかりに、アキコは心の中でそんなことを思ったのでした。
ふつう、こんなことを言われたら「傷ついた」という言葉が思い浮かびそうですが、50代と年齢を重ねたアキコは、常連客の思いを尊重しつつ、「お茶の間のような店」を継ぎたくないという自分の思いを、心の中でしっかりと持っていたのでした。
穏やかに、感情の揺れ幅が分かりづらいところが実にリアル。
50代独身女性、頼れるものは人生の先輩たち
この小説には、主人公のアキコ含め、タイプも年齢も異なるさまざまな女性が出てきます。
- 向かいの喫茶店のママ(ドラマではもたいまさこさんが演じている)
アキコが小さい時からずっとある喫茶店のママ。アキコの母が亡くなり、食堂「カヨ」を閉めていたときに「シャッターが閉まった店があると、陰気になって嫌なのよね」と文句を言ってくる女店主で、店の外を掃き掃除しながら、事あるごとにアキコの様子を伺っているのですが、文句や悪態は、後で振り返ってみると、店を続けていくアドバイスになっていて、アキコはこのママのことを好意的に思っています。
小言を言いながら、ずっと気にかけてくれている。昔ながらの(?)いい先輩です。
- 料理学校の先生(ドラマでは岸恵子さんが演じている)
アキコが編集者時代に担当していた料理学校の先生は、仕事相手というだけでなく、人生の「師匠」といった存在でした。アキコが出版社をやめて自分の店を開くきっかけをくれたのは、この先生の言葉です。喫茶店のママからの文句もあってか、店をテナントに出すかどうか迷っていたときに、先生が「あなたがやればいいじゃないの」と言ってくれたのです。先生はもともとアキコの料理のセンスを買っていて、そういってくれたです。
アキコが店を始めてからも、顔を出しては「やっぱり間違いない」と背中を押してくれました。アキコにとっては「憧れ」の先生で、この先生に認められたいという気持ちが原動力になっているように感じます。
アキコは、読者の「鏡」として存在している
50代独身女性、脱サラをして料理を始めたアキコのキャラクターは、この小説内では他のキャラクターに比べてさほど特徴的ではないように感じます。
それなのに、なぜこの小説を読み込んでしまうんだろう・・・?
それは、読者自身がアキコとなって、喫茶店のママや料理学校の先生から言葉を待っているからではないでしょうか。
最初のトピックで書いた通り、目まぐるしい事件や鮮やかな問題解決のシーンがあるわけではないのに、ついつい読んでいってしまうのには、アキコとなって「言葉を待つ」体験をしたい、というのがあると思います。
50代独身、何か得意なことがあるわけではない一人の女性が、母親の営んでいた店を改装して、自分の店を出す。ふと、自分の店はある種のファッション化されているのではないかと不安になる。
そんなアキコを支える登場人物たちの言葉は、ちょうど同じくらいの年代の人たちであったり、とりわけ女性たちの心に染みていくのかもしれません。50代だってこんなに悩むし、支えとなる存在が必要なんだと思うだけで、心強いのではないでしょうか。もしアキコが20代前半の小娘だったら、よくある、頑張って成長しました話にしかならないでしょう。
「家族を思いやる」は案外むずかしい
アキコの母親は、時に「レンジでチン」したものをお客さんに出すようないい加減さでお店を経営し、常連さんと一緒になってお酒と煙草を喫する人物で、その姿をアキコは嫌悪していました。
アキコはやがて、母親のようにはなりたくないという思いを持つようになり、食事もだんだん自分で自分の好きな味を作るようになったのでした。
料理に対しても、お客さんに対しても、「母のようにはなりたくない」という思いがアキコの根っこの部分にはあるようです。
母が亡くなっても、アキコは泣きませんでした。
アキコは母よりもネコの「たろ」のことを大切に思いました。
では、アキコは母を好きではなくどうでもいいと思っていたのでしょうか?
嫌いであったら、部屋に写真を置いてそれに語りかけたり、母がいたならこう言うだろう、なんてことを考えたりはしないはずです。
好きや嫌いといったよりももっと深い部分の、「母はわたしの人生(生活)の一部」であったという感覚なのではないでしょうか。
人生の師匠である料理学校の先生には会って話を聞いてもらいたくなるのに、自分の母親とは目の前から居なくなってよく話しかけるようになる。家族を思うというのは、案外難しいものです。
【おまけ】「しまちゃん」という存在
お店「A」の内装のイメージは、白い壁に柱がすっきりと天井に伸びている、修道院の食堂でした。壁は珪藻土を使用し、木製の大きなテーブルに形の異なる木製の椅子、そこに置かれるのは生花の花瓶のみ。映像で見ると、かなり洗練されているように見えました。
そんなお店に身体の大きな、男の子のようなしまちゃん。
取り合わせでいえば、少しアンバランスなような気もしますが、見た目ではなく内面で見てみると、これがけっこう共通点の多い取り合わせです。
しまちゃんは、「生活のために働かなくては」という理由で、求人のチラシを見て採用面接に来ます。
履歴書を家に置いてきてしまったことを謝る際に下げた頭は、「すっと一本、筋の通ったような」下げ方でした。今の若者には珍しい、気持ちのいい深々としたお辞儀でした。この様子に、アキコは好感を持ちます。
「生活ができるだけお金があればいい」という考え方を持ち、欲のないしまちゃん。けれども、物事に関心がないというわけではなく、アキコから持ち掛けられる質問には真剣に答え、しかもそれが押しつけがましくもありません。
余計な色が付いてない、自然のままにのびのびと成長した様子が伺えます。余計なものがない、という点でしまちゃんの内面と、お店の様子がとてもぴったり。
アキコとお店、アキコとしまちゃん。これは運命的な組み合わせです。なんとなくですが、しまちゃんがお店を辞めるときはお店を閉めるときのような気がします。